DON'TSTAY

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今いる場所に決して立ち留まらず
これからも進化し続けるという、Hondaの意思を表現。
このメッセージを基に、宮崎で活躍する人物の魅力に光を当てた特集記事です。

これからも生け花と共に – 藤木桃子さん

藤木桃子(ふじき ももこ)さんは現在24歳。若くして「華道家元池坊いけ花教授」を取得。
先生として生け花教室を開いている彼女は、どのように生け花と出会い、その道を進んでいったのか。
彼女を魅了する生け花の魅力とは?これまでの経緯と、これからの展望についてのレポートです。

 

5歳で出会った、一生の財産

藤木さんは野尻町出身。
5歳のとき「年を取ってからも一生の財産になるものをひとつ持っていてほしい」というお母様の勧めで生け花を習い始めます。
生け花は色々な習い事をしていたうちのひとつで、他にもピアノやスイミングなどの習い事をしていたそう。
そのなかで、いちばん「続けたい」と思った習い事が生け花でした。

5歳からずっと続けてきた生け花。
中学校3年生のときに生け花の世界の広さを知ってから、藤木さんの生け花に対する姿勢が変化したそうです。10代後半からは、生け花の品格を理解して、しっかり学び始めるように。
この時期からすでに、生け花以外にしたい事がなかったと言います。

 

思いのままに。自分の道は自分で創る

高校を途中でやめた藤木さん。
その理由は、生け花の道に進むことは決めていて、その時点で自分が持っている生け花の資格で池坊の短期大学に行けることは分かっており、高校に通う理由がなくなったから。

生け花の道に進みたい、という強い意志を曲げず、自らの将来を選択しました。

それからは、京都の生け花専門の学校に年に数回通う形で生け花を学んだ藤木さん。
この学校には生花の研究室や多様な科があり、一生通えるほどの学びがあるそう。藤木さんは今現在もこの学校に通っています。

18歳になって京都にある池坊短期大学に入学。20歳までの2年間、京都で華道を学びます。

卒業してからすぐに宮崎にもどった藤木さん。
帰ってきた当初は、状況的に生け花の先生はできないと思っていたそうで、生け花とは違う資格を取得するために生花とはまた違った学校に通ったそうです。
学校に通いはじめると、生け花をする時間も無いほど忙しくなり、京都の学校にも満足に行けない状況になりました。それがとても悔しかったと話してくれました。

 

21歳、若くして生け花教室をスタート

「やっぱり生け花がしたい」
この強い思いから、周りの大反対を押し切り、当時通っていた学校をやめた藤木さん。
生け花を続けるにはどうしたらいいか。悩んだ末、生け花の素晴らしさを伝えながら、
自分でも生け花を続けることができる教室を開く事に。
ほどなくして、藤木さん21歳の頃、ご縁もあり宮崎市本宮町に「いけばな教室 桃」を開設。
宮崎市で生け花教室をスタートして現在丸3年。今は実家のある野尻町と宮崎市の2箇所で生け花教室を営んでいます。

藤木さんは18歳で「華道家元池坊いけ花教授」を取得(生花の先生ができる資格を取得)し、21歳で生け花の先生になりました。
若くして生け花の先生になった藤木さん。今まで自分より若い先生に会ったことはないと言います。

華道のイメージでは、畳に正座して着物で静かに花を生ける。というイメージがありますが、藤木さんのスタイルは違います。
ラフな姿ににエプロン。生徒さんとおしゃべりをしながら楽しそうに花を生けていきます。

まずは生け花を楽しんで欲しい。
その思いが広まり、今は20代の生徒さんがどんどん増えてきているそうです。

 

これからもずっと花を生けていく

藤木さんは「私は天才ではない」と言います。
ただ人よりも花を生けることが大好き。

今後は、生け花を学ぶ生徒さんはもちろん、同世代の生け花の先生仲間を増やしていきたい。これからもずっと生け花に携わり、花を生ける楽しさや素晴らしさを広めていきたいと語ってくれました。